病気持ちアヤの徒然日記

日々思ったことつづり

かんぐりは何も生まない。

言葉にしないとわからない。

けど、人はある程度言わなくてもいいことは言葉を飲み込む。

それは探らなくてもいい言葉。

かんぐったってメリットはない。

わかっている。

わかっているんだ。

(あ、この人今嫌そうな顔した)

(この人、こう言いたいんじゃないか)

こんなこと、考えたってなんの意味もない。

だって、言葉には出てないのだから。

察してほしい人ももちろんいる。

言葉に出せない人もいる。

でもそれは100%正しく伝わるとは限らない。

なら、言葉に出てない思いはかんぐらない方がいい。

 

近況

人間関係に変化があって色々忙しい日々を過ごしていた。

ストレスが自覚できない私のことを、家族は随分心配している。

それも十分理解している。

メンタルに難のある私はこれまで家族に心配をかけてきた。

この人間関係の変化もこれからどう私に影響があるかわからない。

心配をかけて平気なわけでも、当たり前と思っているわけでもないのだが、

どこか、このストレスの因子となるようなことを乗り越えていかないと、

前へ進めない気がしている。

今のところ順調に日々を過ごせている。

でもストレスによる体調不良はどこからやってくるかわからない。

もうなるようになれ。

猫の気持ち、人の気持ち

うちの猫、なでろうは病気持ちだ。

元野良猫だったから、その時から持ってたものだろうと思う。

完全家猫だが、元々外で過ごしていたからすごい外に出たがる。

動物病院の先生は、野良の寿命はせいぜい3〜4年。

長生きさせたくば完全に室内飼いを、特に病気を持っているこの子のためにも、とのことだった。

だから、こうやって今完全室内飼いだが、

たまに発作的に外へ出ようと一生懸命に出口を探す。

なんだか一生懸命外に出ようとしたがる様子を見ていると、

悪いことをしている気分になる。

こんな時、猫の気持ちを聞いてみたいと思う。

ペットを飼っている人はどの生き物かは問わずだと思うが、

会話ができないものとの意思疎通は、ある意味夢だろうと思う。

でも人によっては、意思疎通が取れないからこそ、

意思疎通が取れる面倒臭さがない分いい、と思う人もいるのかもしれない。

人の気持ちもそうかもしれない。

どう思っているか聞きたい反面、聞きたくない面もある。

意思疎通が取れるとか取れないとかじゃなく、

人は気持ちの表現をするかしないかの判断はその人次第。

気持ちを表現できるからこそ、相手は傷つこともある。

こんな話をすると、

人と猫を一緒くたに考えるなと言われるかな。

でも、なでろうをみていると、

相手の気持ちを聞く、聞ける、聞けない、聞かない、聞きたくない、聞きたい

色んな気持ちで生きていることを感じる。

 

 

『接吻』

コロナ前は観たい画家の展覧会があったら国内ならどこへでも行っていた。

こだわりが強いから、好きな画家もそんなにいないし、

芸術が好きな人にとっては、美術館によく行きます、と公言されたりされたくないレベルかもしれないけれど。

美術館に行ったら必ずその展覧会の図録を買う。

でも、一通り目を通したらあまり開かない。

本物を見てしまっている以上、それ以上の気持ちにならないからだ。

じゃあなぜ買うのか。

行った記念、コレクションの位置付けなのだろうと思う。

コロナの状況になって、あまり遠出ができなくなったことや、

美術館や博物館の休業、展覧会の延期などで美術館から遠ざかってしまった。

渇望というまではいかないが、

絵画を見た瞬間の心の欲動が恋しくはなっている。

こんな時に、買った図録が図らずしも慰めになっているような気もしている。

コロナでなんとなく気持ちの落ち込みが三倍増しな今日。

絵は、頑張ろう、という気持ちにさせるわけではないが、

月並みな言い方だが、心が穏やかになる。

(絵にもよるけれど)

まだ、私が本物を見たいと思っている絵画は見れていない。

早く見れる状況になって欲しいと思う。

今日も今日とて

この病気と付き合って10何年。

今の職場で働き始めて1年ちょっと。

不安が大きくて眠れないことも多々あって、

仕事で何事なく終わっても

休みにソファでゆっくりしていても

不安感が襲ってくる。

体調が良くて、珍しく調子に乗ってみると、

反動で突然体調が悪くなって仕事を休まなければいけなくなる。

最近もそうで、

定期受診の予定を早めてもらった。

でもしょうがないと思うしかないとも思っている。

こうなってしまったのだから。

病気だからと、やれることを放棄したいわけでもないし、

同じ病気の人に、私はできると威張りたいわけでもなんでもない。

ただ、日々をただ生きたいだけだ。

弱音も吐きたい。

強気な自分もいて欲しい。

ただ単に日々を綴る。

今日も今日とて私は不安に生きているけれど、

生きています。